倒産の分岐点

 「あの時、ああしておけばこんなことにならなかったのに…」誰でも自分の選択につきこんな後悔をしたことがあると思います。会社を潰した経験のある社長の場合、この思いはよりリアルで、悔やんでも悔やみ切れない”誤った選択”をしてしまった『倒産の分岐点』を認識しているそうです。

 今回は、「NIKKEI Top LEADER 2009.12月号」(日経BP社)から、会社を潰した社長の三人の『倒産の分岐点』の告白をご紹介します。


告白1.たった一つの指示が命取りに。焦りが招いた痛恨の経営判断ミス

【1】氏名: 保知 宏(プロピア執行役社長兼COO)
【2】倒産の経緯: 1984年7月に設立。2003年5月に「ヘアコンタクト」の販売を開始 した。テレビCMが話題を集め、ピーク時には売上高43億円を計上。だが多額の広告宣伝費や設備投資が足かせとなり、収益面では赤字が続いた。06年12 月には、原材料の一部の切り替えが原因で不具合が発生。信用低下から売り上げが急落。08年7月8日に東京地裁に民事再生法の適用を申請。負債総額は約 43億円。
その後、船井電機の創業者である船井哲良会長の資産管理会社、船井興産がスポンサー企業になり、保知社長は執行役社長兼COOとして再建を進めている。

【3】倒産の分岐点: 「ヘアコンタクト」は極薄の透明フィルムに人工毛髪を縫いつけ 頭皮にシールのように装着できる製品。その縫いつけ部分を固める工程で製造時間を大幅に短縮できる硬化剤を見つけ、これの変更を指示した。ところが、この 硬化剤が原因で装着者の肌にかぶれ・赤みなどの症状が発生し、顧客や金融機関の信用低下を招き、破綻のきっかけとなった。

告白2.色気を出して会社を大きくしたらお金に追いかけられ始めた

【1】氏名: 西 直樹(風船工房匠 元社長)
【2】倒産の経緯: 風船工房匠は1993年、広島に設立。イベント用の風船の企画・製造を手 掛けていた。98年の冬季長野オリンピックや2002年の日韓共催ワールドカップで、風船を使った演出が注目を集める。05年には2億円以上の売上高が あったが、イベント需要の縮小や新製品の開発費負担が重荷となり、資金繰りが悪化。07年1月に自己破産を申請。

【3】倒産の分岐点: 2007年の破産5~6年前に社員を何人も採用し、開発の手を広げてしまったころから会社の方向性が狂った。

告白3.市場を作った自負に引きずられ、二の矢のタイミングが5年も遅れた

【1】氏名: 鈴木健介(ジェイケートゥウェニーワン元社長)
【2】倒産の経緯: 日本テレテックシガレット販売(後のジェイケートゥウェニーワン)は、た ばこの輸入と販売が自由化されたことを受けて、1985年に設立。「嗅ぎたばこ」や一部の高級たばこなどをいち早く輸入して市場を開拓した。バブル経済が 崩壊し、90年の17億円をピークに売上高は急減。2001年11月に自己破産を申請した。

【3】倒産の分岐点: 阪神淡路大震災による火災と浸水で4000万円の商品が被害に。
荷保険も倉庫会社の補償も対象とならず、資金繰りは一気に悪化。